雑文祭について

1.はじめに

 去る8月7日に雑文祭が行われました。→公式ページ

「雑文速報祭」というタイトルになってますが、元々は「隠密の雑文祭」と呼ばれており、そのつもりで計画が進められていました。つまり、雑文速報のために計画されたものではなく、単に内緒で雑文祭を開催しようということでしょう。
 なりゆき上、既にいくつかの掲示板で小言めいたことを書いてしまいましたが、わたしは今回の雑文祭の進行方法が非常に問題の多いものだと思いました。何を言いたいかは既に読めたかもしれないし、断片的に書いていため、逆に散漫になっていてわかりにくかったかもしれません。話は沈静化したようで今更かもしれませんが、一応ここでわたしの考えをまとめておきます。

2.問題点

 さて、今回の雑文祭の何が問題かというと、今回の進行方法は仲間外れを作ってしまうシステムだということです。もちろん、悪意があってのことじゃないことは理解しています。しかし、悪意が無かろうと、秘密にして参加者を募るということは、結果的に「知らされていない人には参加資格を与えない」ということに他ならないでしょう。今まで仲良くやってきたと思っていた関係においても、仲間はずれを作ってしまうということです。
 今までいくつかあったローカル雑文祭(第何回かと言ってないもの)については、まだ参加者を制限しているわけではないという逃げ道があったのですが、今回はさすがに逃げ道がないシステムになってしまったように思います。
 一応公式ページにおいて、後での参加はOKということになってますが、それでも最初の参加者に比べると差をつけられているように思います。やはり、仲間外れを作っている感は拭えません。

 下条さんの弁では、読者を驚かせることを目的としたので秘密裏にことを進めたとのことです。しかし、果たしてそれが仲間外れを作ることに優先すべきようなことでしょうか? わたしは、仲間外れになる人を作らないことを優先させるべきだと思います。驚かせるなんてことは、本来無くても良いオプションでしかないからです。

 さて、ここで仲間外れを作ることにはまったく問題無いという人は、以降の文章を読む必要は無いでしょう。わたしは仲間外れを作ることが問題だという前提に立って話を進めるので、これ以上議論が噛み合うことはないでしょう。

3.影響

 雑文祭は、楽しいイベントだと思います。というか、そういうものになってしまいました。雑文祭から雑文界(5項に後述)の人達を知り、雑文界と関わり始めたという人もいるでしょう。既に色々な人が関わってしまったと思います。今まで参加してきた人達、今まで参加していないけど、次回には是非参加しようと思っている人は、自分に関わりのあるイベントだと思っていることでしょう。それなのに参加資格を奪われてしまうような扱いを受けたら、やはり快く思わないでしょう。

 何故、わたしが仲間はずれを作る行為を問題視するかというと、今問題視しておかなければ、今回のことが当然のことと受け止められてしまうからです。今後、参加者限定のイベントがあちこち行われるのではないかと危惧するのです。
 それでも良いのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、参加者限定のイベントが行われることが普通になると、雑文界に更に内輪の世界を作ってしまいかねません。つまり、派閥のようなものができてしまうと思われるのです。広く文章を公開しようという人がすべきことではないでしょう。つまり、わたしの掲示板で「雑文界も終わりだな」と呟いたのはこういうことです。

 参加者限定のイベントが行われても、派閥ができることなどないと思う人もいるかもしれません。余計な心配だと思われるかもしれません。しかし、わたしは必ず起こると思います。モデルケースは日記猿人です。今の日記猿人は派閥争いばかりで、お互いの日記を読んで楽しむという本来のものが失われてしまってます。
 わたしは、雑文界がそういう世界になってもらいたくないと思ってます。日記猿人で見られたような危険な要素は、極力排除したいのです。そういうわけで、できるだけオープンな形が良いと思うのです。派閥などいったことを考えずに、お互いが書いた文章を読んで楽しめれば、それが一番でしょう。

4.雑文祭の私物化

 ところで、雑文祭の私物化とは、わたしが言い出したものです。他に上手い表現が思い浮かばなかったので、こうしました。間違って欲しくないのは、勝手に雑文祭を企画することを言っているのではありません。勝手に参加者を制限してしまうことについて言っています。つまり、「何故参加してはいけないのか? 参加者を制限できる権利があるのか? 権利があるということは、雑文祭はおまえだけのものか?」ということです。

 また、参加者限定のイベントを是とするならば、自分が制限されてしまうことも考えないとなりません。毎度制限されずに済めば良いですが、中には毎度制限されてしまう人もいるでしょう。そういう人はどうすれば良いのでしょうか? 下条さんはあちこちに顔を出す人です。ほとんど毎回仲間はずれにされることがないと思われます。おそらく、そのせいもあって、仲間はずれにされる人のことを考えられないのではないでしょうか?

 雑文祭は誰が企画しても良いものだと思います。しかし、今回の雑文祭に関しては、参加することだけではなく、雑文祭を企画する敷居も高くしてしまったと考えます。長い間、雑文界でアレコレやってきた人は良いでしょう。しかし、参加制限されてしまい、今まで雑文祭に参加したことがないという人が雑文祭の企画を持ち上げることができるでしょうか。なんとなく自分が企画してはいけないような気がしてくると思います。

5.雑文界

 雑文界などというものは存在しない。その通りです。特定の条件があるわけではありません。雑文界などというものは、そもそも文章を書くことを趣味としていた小グループ同士がお互いに交流を持ち始めただけのことです。
 小グループにはそれぞれいくつかのつながりがあるでしょう。そのつながりを辿っていって、今まで知らなかった人達と知り合った。それだけのことです。そのつながりがどこまでかという境界線も曖昧なもので、誰が属するかということが明確になっているものではありません。雑文界など存在しないというのは、そういう意味で正解です。

 参加者を制限するというやり方は、こんな曖昧でしかないつながりを分断してしまうものと思われます。声をかけられた人、かけられなかった人、差が付けられてしまうものです。日記猿人なんぞは、断絶状態にある人同士も、登録さえしていればそれでひとつの集団と言えますが、曖昧な関係でしかない雑文界などは、つながりを断たれた時点で終わりです。

 つながりを断たれても、元の小集団に戻るだけと思う人もいるかもしれませんが、元に戻ったわけではありません。以前には無かったはずの境界線が引かれ、互いに行き来することが困難になってしまいます。そんなの気にしないで行き来するぞという人もいるでしょうが、実際にそういう状態になると、想像以上に鬱陶しさを感じるでしょう。
 元々が小グループの寄り合いだということで、今でも内輪っぽい集団がいくつかあることは否定しませんが、それはそれで自然なことでだと思います。しかし、お互いに行き来することに気兼ねすることが無ければ良いのです。

6.強行

 実は、今回の雑文祭が行われることは事前に知ってました。そこで、秘密裏に雑文祭を行うことは、決して好意的な反応ばかりではないだろうと思ったのです。おそらく主催者のやじさんは、秘密で雑文祭を行うということはどういうことなのか、周囲の反応を想像しきれていないのかと思いました。
 なので、7月22日のおまけ日記で、ほのめかしました。わたしは部外者なのであれこれ言うことはできませんが、これにより周囲にどう思われるか気がつき、計画の練り直しがあれば良いだろうと考えていました。この日記については認知されていたはずです。しかし、当初の予定通り強行してしまいました。

 下条さんは、文句を言いたい人には言わせておけば良いというようなことを言ってました。この言葉に尽きるでしょう。つまり確信犯です。快く思わない人がいようとも関係無い。しかし、これでは読者を楽しませようという大義名分はないと思います。事前に好意的ではない反応が予想できるならば、避けておくべきではないでしょうか?

 今回強行したのは周囲がどう思うかよりも、自分が書きたいという欲を優先させてしまったからではないでしょうか。あるいは秘密を共有するということに快感を感じたからではないでしょうか。好意的な反応を得られることばかりに頭がいって、否定的な反応には無視することを選んでしまったと思われます。

7.必然性

 今回は読者を驚かせるということが目的だったわけですが、それではその目的に沿ったものだったでしょうか?

 まず、参加者の数です。参加者の数は19人ということでした。連絡があったけど参加しなかったという人もいるでしょう。それらを含めると20人を超えます。これは多すぎではないでしょうか? 驚かせる方に回る人の方が多いのではないでしょうか? 皆が驚かせる方に回り、驚かせる対象がいないというのも変な話でしょう。まあ、そこまで行かないとしても、その傾向が強いような気がします。  また人数が多すぎることは、仲間はずれ感を余計強くするものだと思います。せいぜい、4、5人で良いのではなかったでしょうか? 4、5人程度なら、まあしょうがないかと思わせることでしょう。

 それと驚かせることに対して、何から何まで秘密にする必要があったのでしょうか? もうちょっとヒントがあっても良かったと思われます。

 参加者は雑文速報に報告した人ということでしたが、屁理屈太郎さんに頼んで雑文速報のページに「○月○日から○月○日までに報告した人には、やじさんがちょっとした秘密企画の協力をお願いします」みたいな文章を一言入れておいても、良かったのではないでしょうか?
 それならば、今回参加できなかった人も容易に納得できることでしょう。どれだけ驚くかということも決行日さえわからなければ、変わらないかと思われます。3本、4本も読めば、何が起こっているのか、すぐにわかることです。感想としては、いずれにしても嗚呼雑文祭をやっているんだというものでしょう。

 やじさんは、「この手のサイトに参加していると、なにか起こるかも知れない」という動機を、雑文書きの人が持ってくれれば、この手のサイトの利用率が上昇するかも知れません。」ということを考えたみたいですが、それならば最初にこういう宣伝をしておく方が効果が高いと思うのです。

 今回ジャッキー大西君がそれほど驚かないだろうということを言っていたようですが、まさにその通りでしょう。わたしは事前に知ってましたが、知らなかったとしてもさほど驚かなかったでしょう。第1回の驚きを再びということでしたが、一度経験している人にとっては、前回以上のことでないと、驚きは数段落ちるものです。またかと思うだけでしょう。実際驚いた人は、初めての人だけではないでしょうか。そもそも驚かせるための企画が雑文祭である必要があったのでしょうか?

 同じキーワードを文中に入れるという雑文祭で使い古された手法では、二番煎じの感は拭えません。もっと別な企画が考えられたと思います。それに秘密で計画するのなら秘密で計画したことに対して必然性を持たせるべきで、参加者限定であれば参加者を限定するような必然性を持たせるべきであったと思います。必然性があるものであれば、教えてもらえなかった人、参加できなかった人も納得がいくことだと思います。

8.参考までに

 その昔、ぽいうを編集長として、ちょっとした同人誌というかなんというかを作ったことがあります。その中の企画で「弁証法的三兄弟」というものがありました。たしか何かの雑誌でやっていた企画を真似たもので、知っている人もいるかもしれません。詳しくは書きませんが、要は3人で各パートを分担し、弁証法もどきを展開するというものです。こういう企画なら、参加者を3人に限定する必然性があります。誰もが納得が行くでしょう。
 実際できあがったものを読んで、自分でもやってみたくなったという人も出てくるかもしれません。そこで、どうぞやってみてくださいと言えば、新しいイベントを作ったことになり、雑文祭を最初に企画したのと同等に受けとめてもらえるのでしょう。つまり、提案であり、その見本であるということです。

 あるいは、こんなのもあります。たとえば、ジャッキー大西君が「くだらな随想」を書き、下条さんが「補陀落通信」を書き、たみおくんが「砂漠の旅人」を書き、やじさんが「大西科学」を書くなんていうのも良いかもしれません。
 この場合、お互いに担当を決めておかなくてはならないため、秘密に打ち合わせすることも参加制限をすることについても、誰もが納得行くでしょう。それぞれタイトルを「くだらな随相」、「補駝落通信」、「砂膜の旅人」、「大酉科学」なんてちょっとずつ変えても良いかもしれません。

 今回のものに近い雑文祭形式であれば、しばりは何であるかということをクイズ形式にするという手もあります。最初に雑文祭が始まることを伝えます。しばりが何であるかは秘密にし、それを当てっこしようというものです。ヒントとして、一時間に一本ずつ更新報告して行きます。わかった人はその時点で主催者にメールを出し、主催者はメールを受け取る度に正解者を発表していきます。
 これならば、クイズなのだから秘密に連絡をしておく必然性があります。また、ヒントが多すぎてはクイズにならないので、書き手を制限することにも説得力があります。今回は告知が最後になってしまいましたが、これは不信感を招くものと思われます。やはり、最初に告知した方が良いと思います。

 まあ、この手のイベントの企画なんてものは、色々考えられると思うのです。

9.最後に

 今回については、なんていうか小言めいたことを言ってしまいましたが、結局のところ、雑文界についてのわたし個人の考えでしかありません。わたしには、雑文界の人達にこうしろと命令をする権限はありません。上も下も無いものです。命令ではなく提案であり、こうあって欲しいという願望だと思ってください。まあ、従う必要も無いことだけど、一応こういう考えを持っている人もいるということを考慮していただくとありがたいです。